茅ガ岳〜金ヶ岳・倉持G
- 2011.11.25 Friday
- 19:17
行ってきました!
23/11/23(祭) 茅ケ岳〜金ケ岳 M-14,F-7 スタッフ3名
総勢24名で行ってきました
山中、イタヤカエデやウリハダカエデ、ダケカンバの紅葉綺麗でした♥
101座目と言っても良い茅ケ岳といえば深田久弥さんの終焉の地で有名ですが、自筆の碑もたっていますので
まず行ってみました、
百の頂きに百の喜びあり、はあまりにも有名で全く同感です
終戦後、日本に復員してきた深田久弥は本妻の八穂の元には帰らずに、志げ子と再婚します。この時に以前深田久弥が書いたものとして発表した作品は実は八穂が書いたものであることを、怒り心頭の八穂に暴かれてしまいます。作家としての信用を失った深田久弥は、このころから登山の文章だけを書くようになったと言われています。
有名な「日本百名山」は戦前から山岳雑誌に連載されていましたが、戦争により中断されており、戦後、山岳雑誌『山と高原』に連載が再開されました。1号につき2山づつ掲載され、50回にわたって連載されました。100山すべての連載が終わったのは昭和38年(1968年)4月号のときで深田久弥は60歳になっていました。この連載を単行本にまとめたものが『日本百名山』です。深田久弥はこの1冊で人気作家に返り咲き、昭和39年(1964年)に読売文学賞を受賞、昭和43年(1968年)に日本山岳会副会長に就任、昭和44年に山渓賞を受賞します。
深田久弥は「日本百名山を選ぶ以上は、その数倍の山に登らなければならない。」と言っており、日本百名山を含め、1000に及ぶ数の山に登頂したと言われています。
日本百名山の選定基準としては「誰が見ても立派な山だと感嘆するもの」すなわち「山の品格」、「昔から人間と深いかかわりを持つ山」つまり「歴史を持つ山」、そして「その山だけが具えている独自のもの」である「山の個性」を重要視し、その他に「ある程度の高さ」が必要だとして1500 m以上という条件を付け加えた。しかし、1500 m以下の山は5座選ばれています。筑波山(877 m)、開聞岳(924 m)、伊吹山(1377 m)、天城山(1406 m)、雌阿寒岳(1499 m)。
そして深田久弥は昭和46年(1971年)3月21日、友人たちと茅ヶ岳に登山中に脳卒中で倒れ、帰らぬ人になりました。68歳でした。深田の死後、日本山岳会は「日本三百名山」を選び、さらに深田久弥を敬愛する人たちで祖式された深田百名山に100山足して「日本2百名山」を選んでいます
女岩までは緩やかな登りで、歩きやすくてルンルン、枯れはのクッション♪
こっち見てえ〜ぱちり!
頂上は端牆山、金峰山、八ケ岳、甲斐駒、鳳凰三山などの南アルプス、富士山もうっすら見えました
木々の間からのダイアモンド、キラキラ
お弁当も美味しい♫
やった〜、でもこれからが大変ですよ。。金ケ岳への下りと登り、長い下りと続きます
頂上から金ケ岳が見えます
下りは急ですが、ほんとに雨がもってくれてラッキーでした
暑いくらいで風もなくすいていて快適な登山でしたね!
途中岩もくぐります
霜もたくさんありましたし、ツララもありましたよ
紫式部に似ていますが、ヤブムラサキだと思います
紅葉
高橋さん、写真提供ありがとうございまsた
皆さん、おつかれさまでした
枯れ葉の中の下りは根っこやいしが隠れていて滑りましたよね
尾根は片側が切れているし、ロープははってありますが、絶壁の所も
何箇所かありますし、岩場もありました、
変化があって楽しかったですが、無事全員登頂で下山できましたこと
感謝致しております
担当者の蛭田さん、バスがゆったりで好評でしたしお弁当も美味しかったです
お世話さまでした!
白砂賢一ガイド、平野サブリーダー、三栄交通、鈴木ドライバー、倉持T/C
**催行決定お薦めツアー
12月23日〜24日 忘年登山 阿蘇山と祖母山&阿蘇内牧温泉
九州の百名山2座を1泊2日で!
阿蘇のカルデラは多くのガイドさんたちがお気に入りの山です
体力★★ 技術★
中野ガイド、倉持T/C同行
もう1座の九重山は5月のミヤマキリシマが素晴らしい時に
登りましょう!